私は今の活動は全部ボランティアでやっています。
昔、フィリピンで、現地のNGOでボランティアをしていた時に「人はなぜボランティアをするのだろう?」と悶々と考えたことがありました。
その頃フィリピンでは、ゴミを焼却することなく捨てられていて、それが山になり、2000年にその山が崩落して何人もの方が亡くなりました。
欧米からもすぐに現地にボランティアの救援チームが訪れて活動しました。私がフィリピン行ったのは2002年だったのでそこから2年。
ほとんどの欧米のチームはみんな引き上げており、残ったのは日本とあと1カ国くらいだったかな。。。
日本人のやるその現地NGOボランティア団体は、そのゴミ山がさらに首都圏郊外に場所を変えただけで相変わらず貧困層がゴミ山のゴミを拾って売って暮らしていたので、そのままそちらへ移り、貧困層の子ともが学校へ行けるように奨学金制度を設けたり、毎週炊き出しをしたり、安値で薬を用意したり。女性が働けるように作業を教えて仕事を作ったりしていました。
さて、どうして私がそこでボランティアをしたか。(と言ってもぜんぜん大したことはやれてないのですが)
元々私は幼い頃からアフリカ難民の現状などをテレビで見て衝撃を受けて、いつかあそこで働きたい!と思っていたから。(看護師を目ざしたのもそこに近づける気がしたから。)アフリカではないけど、スラムで役立ちたいという思いがあったから。
でも、そもそもなんでそれをしたいのか?
欧米のチームは、ゴミ崩落のその事故が起きた時にピンポイントで救援に来てサクッと帰る。日本人はまだまだ大変な人たちがいるから残る。。。その結果、あそこへ行くとタダでご飯が食べられる!とか、あの地域に住むと子どもを学校へ行かせられる!と思った別のエリアの人が移ってきたりするという> ” < ;
支援が継続することで、それがある事が当たり前となり、自分たちで何とかしようという意欲を奪う可能性もあるのかも。。。その点では、あるものがないものに与える事が根付いている欧米は、必要以上の支援はしないというか。。。良く言うと、相手の環境や社会も尊重している感じがする。
でも、日本人はそういうことに慣れていない。困った時はお互い様。そして目の前に困ってる人がいたら、感情的にもほっとけないんじゃない?(宗教的な関係もあるかもしれない)
私は多分それ。そんな感情でボランティアをしたいと思っていた。
でも、自分の感情優先で行う行為が相手の社会を壊す可能性もあるのも分かった。(もちろん、事故や災害が起きた時には、元の社会に戻れるまでの支援はすご〜く大事だとも思っています。)
ボランティアにしても看護師にしても、感謝の気持ちを聞くことが良くあり、それはすごく嬉しいしやって良かったと。モチベーションもあがるしまた頑張ろうと思えるけれど、んじゃ、ありがとうの言葉がなければやらないのか??
などなど考えて、自分はなぜボランティアをするのか考えた末、「趣味」という結論に至りました。
これは趣味なのだと思えば、お金がかかるし感謝の言葉も無くても続けられる。ただ、趣味だから楽しいと思えないとね(笑)
今のところ私のボランティア活動は、新しいことや出会いがあってワクワクするから。続けていける。
今の課題は、自分の生活の基盤をちゃんと作ること。趣味はお金がかかる事もあるから、まずは暮らしていけるように整えよう。
コメント
いつも素敵なブログをありがとうございます。癒されるし、考えさせられます。
子供のことだけじゃなく、自分自身の基盤や生活大切ですね。
勝手な
質問ですが、4人もお子様がいて、フィリピンへボランティアにどうやって行けたのでしょうか?私は一人で一泊行きたくても、どうしても家族が気になり、一歩踏み出すことができません。踏み出す勇気がほしいです。
ようこさま
いつもブログを読んで頂きありがとうございます。
海外は夫の転勤で行ったので子どもたちも一緒です。
ボランティアは、子どもが学校へ行ってる間ですよー。
1人で1泊(*ˊᵕˋ*)子どもが小さい頃はもちろんしたことありません。
今は1人でも出かけてます✨️
ご返信ありがとうございます。なるほどです。ご家族一緒なら安心ですね。それでもフィリピンでのボランティアなんて、危険もあるなか、勇気いりますね。
今のされてるボランティア活動も感謝です。
私達親も外との繋がり大切ですね。
ようこさま
私たち親も、いつの間にか地域や旧友らとの関係から遠ざかってしまう事ありますよね。
SOSを出すと、意外と応援してくれるのを感じます。
そして離れていく人たちは、それはそれで。そういう人だった事がわかって良い気がします。
私たち自身が豊かな人生だったと思えるような方向に、わくわく進めたらいいですね