思い返す。
3月初め、息子の言動がおかしいと感じた。
でもその前に、何もなかった?変化は突然だった?
ちがう。
発症の4ヶ月ほど前、息子に台所の流しの片付けを手伝ってもらった。生ゴミを捨ててもらったのだけれど、翌日、帰宅して息子が手を洗う姿が…。
帰宅して手を洗うのは当たり前としても、、、長い。
それから2~3日、息子が何かにつけ洗面所で手を洗っている様子があった。
そしてある日、息子が台所に来て、「おかあさん、なんか手の臭いがとれなくて、何で洗えばいい?」と。
「食器洗い洗剤使ってみる?」というと、息子はそれをつけて、また丁寧に洗っていた。
ところがその翌日、また息子が手洗いしに台所へ来た。
「手の臭いがとれない…」
「何したの?」私は学校で何かしたのかなと思い聞くと、
「この前生ゴミ触ったじゃん!あの臭いが取れないんだよ。」
???そんなわけないじゃん!あんなのだいぶ前でしょ。驚いて息子の顔を見上げると、真剣な表情。何かに追い詰められているような?
「イヤ、おれ鼻がいいからさぁ、なんか臭うんだよね。」
私は、洗剤で洗い終わった息子の手をつかんでニオイを嗅いでみた。
「洗剤のニオイしかしないよ!大丈夫だよ。他の人はそんなに鼻がいいわけじゃないから気が付かないよ!」私は、何事も無かったかのように、できる限り普通に伝えた。
息子も自分の手のニオイをかぎ、首をかしげながら、台所から出ていった。
おかしいな…と、不安がよぎった。続くなら今週末、どこか病院に連れていかなくちゃ。何科?カウンセリングとか、相談にのってくれるところ?心療内科!?
ところが、週末になり息子に聞くと、もう臭いは取れたという。
気のせいかな…
私は少しホットしたのを覚えている。
発症の一年ほど前、息子が繰り返し話す事があった。
「オレさあ、目つき悪いじゃん。だから、みんなから怖がられるんだよね。」
私は息子の顔をまじまじと見た。まあ確かに、一重まぶたできつい目と言えないこともない。でもそんな、目つきだけで周りの友達が怖がるとかってあるんだろうか?話せばそこそこ面白いし、お調子者だし。
そうかなあ?かあさんは、そんな風には見えないけど。
「かあさんは、親だからさ。」
そんなやり取りを、よくしていたような気がする。
何回目かの時に、なぜそんなに目つきを気にするんだろう。周りがそう思うってことは、もしかして、孤立しているのかな?友だちがいない?
高校2年生になり、1年の時に一緒だった中学の時からの友だちとは、別のクラスになっていた。部活も、やめてしまっていた。
2年のクラスどう?新しい友だち出来たの?と聞くと、
「おお、帰宅部は帰宅部で忙しいんだよ。」
なんで忙しいの?
私は仕事で帰宅が6時過ぎるため、息子が何時に帰ってきているのかを知らなかった。
「ラーメンとか食べたりさー」
誰と?
「かあさん、言っても知らないでしょ」
分からないかもしれないけど、名前くらい知りたいよ!
「TとかNとかOとかかな…」
息子は3人ほど苗字を言い、
「Tは家近いからさぁ。よく一緒。」
ごまかしているわけでも嘘をついているわけでも無さそうだった。
ここでも私はほっとしていた。
目つきが悪いと思われているのは、息子の気のせいで、ちゃんと友だちもいるようだし、大丈夫じゃん。
と思った。
けれど、発症して、まだ診断名がつかなかったけれども、統合失調症の可能性があるなと思って調べていく中で、前駆症状があることを知った。
この、手の臭いが気になったり、目つきのせいで怖がられてると感じたり、これも、その症状だったのかもしれない。
さらに調べていく中で、「成績が下がる」というのがあった。
息子は、高校合格し、中学3年の最後の春休みに、ものすごく勉強をした。
高校に入ったら、他の子と差をつけて勉強のできる生徒でありたいと思っていたようだ。
夫は、息子に対して厳しく、塾などに頼らずにまずは自分で勉強して、それでももっと勉強したければ、塾に行かせてやる…というタイプだったのだが。
その父親に息子が、高校に入ったら、通信講座をやらせてくれと頼んだのだ。
夫は、春休みにしっかり勉強する姿を見せたらな!
と答えていた。
その為、息子は、高校合格した後の、誰もが遊ぶであろう春休みに、一生懸命勉強をしたのだ。
そして、高校入学。
息子が父親に、通信講座の受講の話をすると、
答えはNOだったのだ!
私も夫に言った。すごく勉強を頑張っていたことを。
けれど、夫は聞く耳を持たなかった。
息子は、何でだよ!と悔しがっていた。
その時、息子の、小さいころから父親に認めてほしいと願い続けていた気持ちの、何かの糸が切れたような気がした。
そして、高校に入学後、息子は一切勉強をしなくなった。一学期は、通知表に1がつき、三者面談に呼ばれるほどだった。
小さい頃から、ずっと父親から厳しく育てられてきた息子が、勉強しない理由は、明らかだった。
私は、このままだと留年だし、卒業もできるかわからないよ。ちゃんと勉強はしよう。やりたかったら、お父さんにナイショで通信講座やればいいさ。
と伝えたが、
「バレたらどうするんだよ!」と言って、とうとう通信講座の受講はしなかった。
けれど二学期から、息子はテスト勉強だけはするようになり、高校2年生へと進級した。
あの、高校1年の一学期、成績がものすごく下がったのは、単に勉強しなかったからだけだったのか?部活も辞めてしまい、イライラしているようだった。
入院から1週間後のこと。精神科受診の前に1度みて頂いた、臨床心理士さんが電話を下さった。
息子がどうしているのかを気にかけて下さったのだ。
私は、予定通りHクリニックを受診し、今は入院していることを話した。
その臨床心理士さんは、息子との話の中で、「思い出した!」と言って話す妄想の内容が、「それはいつのこと?」と聞くと、「高校1年の夏だったかな…?」とか、「高校2年の時」などと答えており、中学3年生以前の話がなかったことなどから、おそらく、中学3年生の終わりか高校入学した頃から、何かあったんではないかと、教えてくださった。
あの、中3の春休みの出来事…
やっぱり、発症の原因のひとつだったのかもしれない。
そしてその後の、成績が下がったことも、記憶力や集中力が低下するという前駆症状のひとつの表れだったのかもしれない。
いずれにしても、私は何もしなかったのだ。
息子の心の悲しみや辛さに気づいたのに。
おかしいなと思う症状に気づいたのに。
何もしなかった。
看護師?わたしが?
母親?わたしが?
過去を振り返ると、後悔ばかりになった。
病院へ行くたびに、息子が私に向けて責める言葉は、受けなければならない。これは、罰なのだ。
そう思っていた。
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