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手放すことと抱えること

2.統合失調症との日々

手放せることは手放し、抱えることでそれが自分の芯となるなら抱え続けたっていい。

「誰かのため」と言うのは、誰かのためにやりたいという「自分のため」

よくよく紐解くと、大抵の事は自分の気持ちを安心させたいため。

親だから。どんなに離れたって大きくなったって子どものことを心配し続けるし、実はその心配は、不安定だけど自分がしっかりしていなくちゃ!という芯になってたりする。

4人の子どもたちが小さかった時、私は風邪をひかなかった。ひいてる場合じゃなかった。なんだか熱っぽいと思ったこともあったけど、気のせいだ!と自分に言い聞かせてた。子どもたちのおかげで、私は10年間風邪知らずだった。

けれど、子どもたちが成長し、私がいなくても生きていけるようになり、私も安心して風邪もひくようになった。(歳のせいもあるだろうけどね)。

ホッとする気持ちと寂しい気持ちが混ざりあい。そんな中、統合失調症となった息子は経済的な自立がまだだから、もう少しの期間私は健康でいるようにしなくちゃ!と。良い意味で、抱えることで頑張れてる気がする。

そして、少しずつ手放してるのは、息子を見守る時間。前は、今どうしてる?幻聴と話してるんじゃない!?見守らなくちゃ!!と、息子のことを気にかける時間が多かった。何とかして回復するために検索したり調べたり。起きてる時のすべてをそんな時間で費やしていたこともあった。「心配の暴力」と言われるほど、無言の圧をかけていたこともあっただろう。

でも今は、息子の事をあんまり気にかけない。

それよりも、私が何をしていたら楽しめるかを考えるようにしている。表面的に頑張って明るくするのではなく、心から楽しんでいきたい。

息子のおかげでまだしばらくは孤独になることも無いし、手放したり抱えたりをバランスよく整えていきたい。

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