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05 連携

入院中も、学校とは連絡を取り合った。

養護教諭の先生は、大地の病気やそれまでの家庭環境から、次の担任の先生は、男性が良いか女性が良いかなど、3年生の担任の先生たちが何かしらの配慮をしようと話してくれている事を教えてくれた。私は、どちらでも良いけれど、病気に理解のある先生にお願いしたいと伝えた。

大地は入院中だったが、高校3年生に進級した。

始業式の日、養護教諭の先生から電話があり、新担任は、1年生の時に受け持ってくださった女性の先生が、名乗り出てくださったと教えてくれた。大地の発症前を知っている先生ということになる。

名乗り出てくださった…という表現に、みんな、精神病を発症した生徒を受け持ちたくないんだろうな…と寂しい気持ちになったが、そんな事でネガティブになっていられない。

ほどなくして大地は退院したが、しばらくは家でゆっくり過ごさせるつもりだった。…というか、表情も相変わらずだし、とても学校へ行けるような状態ではないと思った。学校はしばらく休むことにしていた。

3年の担任の先生からは電話があり、大地の様子を簡単に聞かれた後、選択科目をどうするか?という現実的な話をされた。ずいぶん事務的だなと思ったけれど、下手な時候の挨拶や同情的な話よりも、大地が高校生活を送る上で、考えなければならない大切な話ではあると思った。選択科目は、ほぼ大学進学に向けての教科で、高校卒業のために必要な単位ではなかったので、全てキャンセルしてもらった。

それからも、私ひとりだったり、大地と一緒にだったりしながら、3~4回は学校へ行って、担任の先生や学年主任の先生らと話した。大地は、いつも硬い表情で虚ろな目で、もちろん笑顔などもなく、「はい、いや、」と時々、聞かれたことに応えてはいた。小さい頃、人と話す時は、ちゃんと相手の顔を見て話すんだよと教えていたけれど、まったく先生の顔を見てはいなかった。

5月の連休明け、担任の先生は、体育祭があるという連絡をくれた。クラス替えがあったが、大地の足が速いことを知っている、以前のクラスの子たちが、大地をクラス代表リレーの選手に推薦したのだという。

担任の先生は、詳しい病気については話していないが、入院し、今は自宅療養中である事を伝えておいてくれた。そのため、大地が来れなければ、他の子も補欠として選んでおくというクラスの話し合いになっていたらしい。

その時の大地は、薬が増えたばかりで、医者からも、「今は安静」と言われていた。

私は、大地とも相談し、リレーの選手の話はとても有難いけれど、体育祭は出られないことを伝えてもらった。来るか来ないか分からない大地を待つ補欠の選手にも申し訳ない。

ところが、ずっと学校を休んでいたというのに、体育祭が近づくと、大地は学校へ行くと言い出した。

高校最後の体育祭だから出たいというのだ。

「病気で自宅療養中の子が、体育祭だけ行ったらおかしいでしょ!」と言ったが、大地の気持ちは変わらない。

担任の先生に、体育祭には行きたいと言うので、見学をさせてもらっても良いか聞いたところ、そろそろ学校に来ないと、欠席により単位が認められず、卒業出来ない可能性も出てきているという話があった。

私は、再び学校へ行き、担任の先生と養護教諭の先生と、今後についての話をした。

私は、保健室登校のような形で、学校で寝ているわけにはいかないか?と頼んでみた。今思えば、ずいぶん身勝手なお願いだったと思う。

それでも、養護教諭の先生は、高校でその対応が出来るのかを調べてくださった。当然だけれど、答えはNOで、やはり、教室で一定時間以上授業を受けなければ、単位としては認められないという事だった。

私は、大地にその話をし、今は安静が大事で、病気を治すことを一番に考えないといけない。高校は、留年してもいいし、良くなってきたら、通信制の高校などに行ってもいい。という話をしたのだが、大地は、「留年はしたくない。今の高校をみんなと卒業する!」と…。

大地は、体育祭を機会に、学校に通うことになった。

担任の先生は、大地との対応の仕方など、知りたい事もあったらしく、クリニックの主治医に直接電話をしても良いかと私に聞いてきた。

主治医の先生も、快く、いつでも電話をしてもらって構いませんと、仰ってくださった。それから、大地の担任の先生と主治医の先生は、電話で何かしらの話をしたらしかった。何を話したかは分からないけれど、主治医の先生が、「まったく、学校の先生ってのは…!」と、ややイライラした感じで呟いていたし、担任の先生も、顔をしかめて、「どんな感じの方なんですか…?」と、主治医に良い印象を持っていない雰囲気だった。

こうして、担任の先生と主治医との、感情的な行き違いはあったのかもしれないが、学校と病院とが連携して、大地が学校に通えるようにしてくれたんだなと思う。

最初はあまり好印象ではなかったクールな女医さんは、実は、児童思春期外来の医師として、精神病の子どもをなんとか助けたいという、熱いハートの持ち主だったのだと感じたし、事務的に思えた3年の担任の先生も、その後もたびたび電話をくださり、ただでさえ受験生を受け持つという忙しさの中で、大地の事にも、随分と時間を割いて、気にかけてくださった。

今思うと、感謝でいっぱいだが、あの頃の私は、日々を過ごすのに精一杯だった。

06 与薬 

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