昔、こう見えて(見えてないけど💦)私は歌がうまかった(方だと自分では思う。)
カラオケボックスもあったけれど、飲み屋さんとか居酒屋で知らない人たちの前で歌ったりすることもある時代、私の声は薬師丸ひろ子さん的な澄んだ美声で(自分で言うのもなんですが)私が歌うと、その場の人たちも黙って聴いてくれて拍手喝采(盛りすぎてるか?)十八番も、Wの悲劇とかあなたをもっと知りたくてとか。(プリプリのDIAMONDSなんかもよく歌った)
それが、子育て中に声変わりした。たぶん、子どもたちを大きな声で叱りすぎたんだと思う。(反省💧)
今の時代は、大声出すことも虐待?だとか言われるので、虐待だったかもしれない。
その結果、私は声をつぶしてしまい、もう薬師丸さんのような歌声は出ない。
先日、子どもたちとカラオケに行った際に、今の十八番の、銀の龍の背に乗ってを歌った。
すると子どもたちが、「ずるいよね、母さんの声、中島みゆきそっくりだもん。」
というので調子に乗って、中島みゆきのものまねしながら「時代」を歌った。
そして薬師丸ひろ子風にも「時代」で挑戦。けれど、まったく声がかすれてしまって出なかった。
私がさみし気に、ホントはさ、こんな声じゃなかったんだよ。声帯にポリープだか結節だったかができてさ、もう昔みたいな声が出ないんだよね。
すると子どもたち、「それって昇格したってこと?」「その薬師丸なんとかって人は知らないけど、中島みゆきは有名じゃん」
「良かったね、そっちになって」
なるほど!私はこの○十年、昔の友だちに会うたびに「どうした!声!?」と驚かれていたけれど、声をつぶしたおかげで別の着地点にたどり着いたのだな。
うん!これって統失にも言えるんじゃない?
まったく別の着地点だけど、悪くない。
コメント
こんばんは。
私はお薬治療さえ上手く行けば、発症以前に戻る事も出来る時代になったと思ってます。
何故なら、うちの娘がそうだからです。
前回コメントさせて頂いた時に家族会のライングループに入って、どのようにして回復したかを話して下さいと言われて、未だに仕事や私用に忙しいまま、果たせて無いので、今簡単にとりあえず書きます。
うちの娘は大地君とおそらく同い年で、発症の年齢も同じだと思われます。
大地君の場合はお母様が看護師さんであったこともあり、早い段階で受診されてますが、うちの場合は、前駆期に一度小さなメンタルクリニックで睡眠薬をもらって、陽性状態の時に大きな専門病院に連れて行きましたが、別の病名を言われたために、その後ひどい陰性状態で会話も飲食も一切出来ない寝たきり状態の陰性末期で、生命に危険ということで救急車を呼び一般病院→精神病院にその日のうちに転送で保護入院という経過をたどりました。
一般病院では脳のCTも撮って異常は無く、精神科だと判断されましたが
「ここまで悪くなるまで放って置いては駄目だよ。」と言われ、その晩入院した精神病院の主治医からは、最初の面談で「社会復帰は出来るでしょうか?」と聞くと「分からない。」との返事でした。ようやく医療にたどり着けた、長かった、という安堵と共に先の見えない不安で泣きながら帰りました。
家に戻って調べて見ると、早期の治療が大事とあり、発症から三年も経過している事も分かり、その頃からこちらのブログも読ませて頂いてます。
最初は非常に強い薬を点滴で投与されて眼球上転したそうで、その後エビリファイ24mgの内服薬に変わったのが入院三日後からです。
片道一時間ちょっとの病院に最初はほぼ毎日。落ち着いてからは1日起きに通ってました。
入院翌日には「ママ来てくれたの、ありがとう。」と話せる様になって驚きました。
更にエビリファイに変えたとたんに、スッとベッドから起きて、面会室まで私の前をすたすた歩いて、娘と数年振りに普通の会話が出来たんです。どっきりカメラのようでした。
「お帰りなさい」と私は娘を抱きしめました。
3ヶ月後の一昨年秋に退院になりましたが、まだ症状は残っていて主治医はエビリファイを上限の30mg に上げる事を提案されましたが、断り、病院は自宅に近い専門病院に変えました。
長い間引きこもって外出して無かった娘と退院してからは一緒にあちこち出歩き、買い物や旅行にも行きましたが、半年位はどう見ても健常者には見えませんでした。動作とか表情が重くて不自然でした。
昨年の初夏にようやく減薬をこちらから先生に話してみました。
どうしても、この不自然な動作や表情は薬が強い為と思えたので、思いきって言葉にしたのですが、すんなり受け入れて貰えて、最初は3mmが二回、その後は1mmずつで、ゆっくり慎重に減らしていき、今はどう見ても病気に見えないと思います。
実生活はとても充実して、リア充の二十代なんてもうきっと来ないと悲しんでた日々が嘘みたいで、正直、恐いくらいです。
二級の手帳も持ってますが、ゴールデンウィークには早朝の電車に乗って都会の大きな所での派遣の仕事を夜まで連日こなしてピンピンしてて、陽性にならないか心配しましたが、大丈夫でした。
うちは糖質制限も一切やって無くて、サプリメントも取って無いんです。
エビリファイ以外の薬も飲んでおりません。夜だけ14mm飲んでぐっすり眠れてます。
お薬は人それぞれ合うものが違うのでしょうから、あまり参考にはならないかも知れません。女の子なので一緒に行動出来たのも良かったのかも知れません。
うちには息子もおりますが、息子とはベタベタ出来ませんもの。
うちの場合は悪くなりすぎてたので、医療に繋げる事が本当に大変で、病名がはっきりしただけで、ほっとして救われました。
だから、かえって神経質になることも無くて医師に任せられました。
ナイアシンも買って有りますが、娘は一度も飲まないです。
無理に勧めてストレスにならない方が良いかと思うので、そのままです。
元々治りやすいタイプだったのかと思ったり、でも沢山のブログを読むと、安易には考えられないです。
この病で苦しむ大勢の人達が、皆揃って全員が治る治療が見つかる事を祈ります。
cafeさん
娘さん順調に寛解されたんですね~。良かったです。
そのように発症以前と全く同じに戻れる例もあるというのは、このブログを読んでいる方たちの希望になると思います。
うちの息子もそのようになれたら良いんですが。
ご存知のように、一筋縄ではいかない人も沢山います。それは医師が良くなかったり対応が悪かったりというわけでもありません。
エビリファイ処方は王道のひとつです。cafeさんの所は合って良かった!そして減量もゆっくりと行い成功!素晴らしいですね。
今回は丁寧に娘さんの寛解までの道のりをコメント頂きありがとうございました。このブログは家族会の方も読んでる方がいますのでこれで大丈夫です。
一例として、cafeさんのようなケースもある事は参考になりました。
ありがとうございました。
息子さん良い先生に恵まれて良かったです。
私もカラオケ大好き。
パソコンが壊れ、このパソコンは息子が大学時代に使っていたのを譲り受けました。
それで家カラを一人でしてましたが、このパソコンでダウンロードするとまた早く壊れそうでしてません。
息子さんたちと行かれるんですね。
私は娘とです。
漫画本ばかり読んであまり唄わなくなりました。多分病気になる前唄うことでストレス発散していたのでしょう。
2回目の退院。現在セカンドオピニオンで音楽療法に行きたくないというか、一人の方が卵の殻の上に和紙張り売り物みたいな完成度の高い作品みたいな楽器を作ってこられて。娘は高校の途中から行けなくなり、社会経験もないので楽しくないみたいです。今日もありますが診察だけ行く予定、前回私も参加しました。楽しかったです、そういう人に慣れないところが変わるんでしょうかね。急がす焦らずゆっくりとです。
milkbasako(みるく)さん、
当事者の息子がカラオケ好きなのは、ストレス発散もあるでしょうし、昔から割と家族でカラオケ行ったりしてたからかもしれません。
音楽療法というのがあるんですね。
こちらは少しでも良くなる可能性があるなら、試したいと思ってしまいますが、本人の気持ち、合う合わないもあって難しいですね。
お互い焦らすのんびりいきましょうね。