人は死ぬと、細胞の集まりである、今お世話になっている身体という入れ物が無くなる
そして、その入れ物の、細胞ひとつひとつに染み込んでいたエネルギーのかたまりだけが、空中に浮遊する。浮遊というか、広がっていくというイメージ。
平穏で感謝に満ちたエネルギーのかたまりは、広がっていって、あたたかく大気に溶け込んでいく。けれど、憎しみや恨みに固執したエネルギーは、その場に留まることもあるかもしれない。それが、霊的なエネルギーのかたまりとして、見える人もいるのかもしれない。
神とか仏について考えれば、
無宗教の私としては、キリストもブッダも同じ。この大気中のエネルギーを受け取る力が優れていたのではないかと思う。そして、そのエネルギーを受け取って考えたことを、人に伝える能力に長けていたのではないか。
神とは、この大気そのもの。大きな大きなエネルギーそのものなのではないかな。。。
そのエネルギーの中から、「優しく、人を慈しむ気持ちを持っている人」の元には、同じような「慈悲」のエネルギーが降りてくる。「悪口ばかりつぶやく人」の元には、嫌な気持ちのエネルギーが降りてくる。ポジティブな考えを持とうとしている人の所には、ポジティブなエネルギーが降りてくる。
「不安」な人が増えると、世の中はどんどん不安な人たちが増えてくる。
だから、世の中を良くするのには、ひとりひとりの「気持ち・想い」が、明るくポジティブであたたかければ、争いは減り、平和な世の中になっていくんじゃないかなー。
大気中のいろんな想いのエネルギーを、受け取る力の強い人は、そこかしこにいるような気はする。ただ、時代や環境によって、世に出るか出ないかの違い。
そんな事を、ふと考えたりする。
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