17日に入院した父でしたが、21日、他界しました。
3年前に肺がんの手術をしてから、息苦しさがはじまり、この5月からは帯状疱疹にもなり、それでも地域のために活動を続けていました。
母が透析をするようになり、認知症になり、昔は台所に立ったことなど無かった父が、母のために腎臓病食を作り、これはカリウムが多いからダメ、これは茹でてからじゃないと。。。など、母のために学び実践していました。地域のボランティア活動をしながらずっと老々介護していました。
母を看取るつもりだった父ですが、この3年は本当に、辛かったと思います。
地域の方たちの前では明るく元気な父でしたが、私の前ではいつも息苦しく辛そうでした。
特に帯状疱疹になってからは、早く父を楽にしてあげたい、この痛みと苦しみから助けてほしいと、そう願っていました。それほど、父はずっと痛そうでした。
告別式の時、弔問にいらした方々は皆、わんわん泣いていました。こんなに弔問だけで無く人たちがいるのかと思うほどでした。父が生前、オレは金は残せないけど人は残せると言っていたとか。。。
その言葉通り、子どもから高齢の方まで、心から父を慕ってくださった方々がいることがわかりました。
宮沢賢治の詩が、父の生き方と重なるところが多いと思います。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
私は、良い娘では無かったけれど、父のような慈愛で動けるような心は無いけれど、自分をもう一度見つめなおし、何をしていくべきか、何が大切なのか、考えたいと思いました。
まだ、慌しさの中で父がいないことが実感としてわかないのですが、まだ母の介護もあるのですが、反面教師と思っていた父の生き方を「師」と思える一面を大切に自分の心に刻みたいと思います。
コメント
随分前にコメントさせて頂いた者です。
この度はお父さまも、主さまもお疲れ様でした。お父さまが安らかであることをお祈り致します。
さて、今頃こんなことを申し上げても、と思ったのですが、私の母も肺がん(正確には、亡くなった原因はがんではなかった)でした。ご存知のように、胸水や腹水は、抜いてもまた溜まりますよね。なので抜く時の見極めは非常に繊細なものらしいです。
身体に負担もかかるので、三分の一程度の量を抜くに留めておくのが普通らしいのですが、お父さまが全部抜いてから穿刺が出来なくなったというのは医療過誤では?と感じました。
母の場合は、2回程度抜いてその後は胸水は落ち着いたので、もう90歳だったこともあり、苦しい検査や手術は望まないことを私は選びました。で、当時悪名高い(笑)イレッサを試すことをお願いしたのですが、母の場合はこれが効き、ひと月の投与でがんは半分程度になり、とりあえず退院は出来ました。
恐らくこれも延命に過ぎず、また悪化したかも分かりません(母は退院後、転倒して大腿骨を骨折したことが遠因となり亡くなりましたので)。がんのその後を見届けられなかったのは残念に思っています。
母は今年十三回忌で、こちらの記事で久々に当時のことを思い出しました。高齢者のがん治療は難しいですね。私自身ももう60歳を越えましたので、こういう時の方針を娘に伝えておくつもりです。長々すみませんでした。
あおいさま
お母さまの状況を教えてくださりありがとうございます。
父は胸水穿刺をしても2週間でまた水が溜まるの繰り返しでした。胸水が溜まる原因も不明のままでした。
ひとつ医療過誤かと思うものとしては、執刀医が主治医の若い息子さんで。
名医と言われる執刀医が手術してくれるものと思い込んでいたのに、まさかその息子さんがするなど考えていなかったので、病院の説明不足だと思ってはいます。数ミリの小さかった癌が、手術して2か月後の検査では脳やリンパに転移していて。手術後の方がずっと辛そうでした。
私自身は手術をしなければ良かったかと悔やんだりもしましたが、その頃少し息苦しさが出ていた父は、手術さえしたらまた元のように動けるようになると信じて自分で決めたことだったので。
そして、父は心の中では思っていたかもしれないけれど、言葉には手術しなければ良かったとは言いませんでした。
息子の病気の事もそうですが、過去を思い出して後悔したり憤ったりもしますね。
そういった思いのエネルギーを、未来を変えるためのエネルギーに変えていけたらなと思います。
お母さまも色々試し、あおいさんもお辛かったことと思います。
高齢者の癌治療は難しい・・・本当にその通りですね。
コメントありがとうございます。
お父様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。
皆様に愛されていたお父様、とても慈悲深い方だと察します。
これからお母様の介護と共にやらなければならない事が多いと思いますが、どうぞお疲れにならない様にして下さい。
心よりご冥福をお祈りします。
ひろ子さま
ありがとうございます。
役所や銀行、ホントにやる事ありますね。
その慌しさ、忙しさがあるからむしろ良いのかもしれないと思ったりしています。
もしかしたら、この慌しさが落ち着いた頃に、どっと悲しみが押し寄せてくるかもしれないと、そんな風に思ったりしています。
森の民様
お父様御愁傷様でした。喪失感よりも今は目の前の手続きなどに忙殺されておられることと思います。どうかご自分のお身体を大事になさって下さい。
コロナ禍で思いどおりの葬儀が難しかったでしょうか…。宮沢賢治さんのような生き方なんて素晴らしいお父様ですね。
TTきょうだいさま
父はやり残したことがたくさんたくさんあって。
来年はこれをやるとか、色々とやりたいことの計画があったようです。
「生きる」という事への思いが強い父でした。
私は父のようには生きられないけれど、こうしてブログを書いているのは、自分の体験が誰かの役に立つかもしれないという思いからで、その辺りは父に似ているのかもしれません。
いつもコメントありがとうございます。