小さい頃、両親から、「誰とでも仲良くしなさい。友だちは沢山作りなさい。」と言われた。
だから、誰とでも仲良くしないといけないと思ったし、友だちは多い方が良いのだろうと思っていた。
けれど、思春期を過ぎて、自分の考え方が定まってくると、『合わない人』というのが出てくる。なんとなく、合わない気がするという、その『気』は、当たっている。恐らくお互いそう感じているだろう。
でも大人だから、合わなければできるだけ関わらないようにするし、当たり障りのないことを話したりする。
誰とでも仲の良い人は、自分を持っていないか、表面的に合わせているか、または周りがその人に合わせているのではないかなと思う。
たくさんの友だちも、本当に必要なのかな、と思うようになった。
学生の頃は、私は広く浅く色んなことに首を突っ込んでおり、周りから見たら友だちの多い人だと思われていたと思う。親友と言える友だちも、その時々でいたように思う。
けれど、結婚して引越し、年賀状のやりとりはあるものの、みな疎遠になっている。
そして、息子が統合失調症を発症した時に、過去を振り返って、その話をわざわざ電話してまで話せる友だちがいないことに気がついた。
かろうじて、息子が小さかった頃を知っているママ友には、話すことが出来た。が、あれほど沢山いたはずの友だちには、誰にも話せなかった。
これって友だちなのかな。。。?
友だちはたくさんいた方が良いのかもしれないけれど、ホントのホントに困った時に助け合える、なんでも話せて自分をさらけ出せる友だちは、一生のうち1人、出会えたらラッキーなのではないかなと思う。
そして、その友だちは、幼なじみとか学生の時の友だちとかとも限らず、年をとってから出来るかもしれない。年齢も、すごく年上とかすごく年下という可能性もある。
今はいなくても、自分らしく暮らしていく中で、いつか出会えるかもしれない。
そう思う。
コメント
こんにちは、とても共感しました。
匿名さん
ありがとうございます。