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「私は」のその先

~発症のころ~

症状が強い時の対応は、物理的な距離をとったり、相手が興味のある現実の話をしたり。

そして日々は、相手と自分を切り離して考える。例えば、○○が学校に行かなくて不安だ!の前に「私は」を付けると、不安なのは自分だとわかる。自分の不安解消のために学校へ行かせたいのか?本人の不安は、むしろ学校へ行くことかもしない??などのように、自分と相手の2方向から考えられる。

こんな風に「私は」とつけると、実は心配・不安のほとんどは自分のものだとわかる。

さて。それをやり続けたその先。

私は最近、息子への寄り添う気持ちが薄くなってる気がする。

前なら、息子が幻聴が辛いと言うと大慌てで。やれ、寝てみれば!?ビタミン不足かな?今度主治医に薬の相談しなくちゃ!!何かストレスを感じるような変化あったのか!??などなど。「辛い」と聞くのが辛くて、何とかしなくちゃのオンパレードだったけど。

今は、「へぇー」のみ。どうすることも出来ないしね。

大地は、私が大地と一緒に同じ傘の下で泣くことよりも、傘を渡して、じゃあっちの晴れてる方で先に遊んでるから来てねー、待ってるよー!来れないなら呼んでねー!の方を喜ぶタイプな気がする。

「私は」と切り離した結果、寄り添う気持ち(一緒に辛さを共有して悲しむなど)は減ったけど、その方が良い親子関係もあるかと思う。

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