子どもたちには幸せになってほしい♡
これは全ての親の願いのように思う。
ただ、時に方向性を見誤ることがある。親の育ちの環境や経験から、どうすること、どうなることが幸せかを見定めて、その方向に子どもを向かわせようとする。
「子どものために、良かれと思って」が親側の気持ちだと思う。ところが、幸か不幸か子どもは親とは違う人間だから、親の思う幸せを幸せだと感じないかもしれない。
親は、貧しい思いをさせたくないかもしれないし、出来ることなら裕福であって欲しいと思うだろうし、そのためにどんな進路を進めば良いかを考えるだろう。
中には学歴や企業名にこだわる親もいるかもしれない。残念ながら大学の名や会社の名は、人と比べて得られる幸せのことでもあり、人と比べないと得られないものは際限がなく中々幸せにはたどり着かない。もちろん、○○の仕事がしたい!そのためにはこの会社しかない!!という目的があり、そこに給与や福利厚生の良さなどくっついていたらラッキーかもしれないけど。
さて。私はと言うと。子どもたちには幸せに向かって欲しいとずっと願っている。けれど、小さい頃から幸せになりなさい!と言ってたわけではない。「幸せになりなさい」は、「○○大学に入りなさい」というのと同じ意味合いの圧とコントロール下での考えとなりかねない。
自分にとってどんな暮らしが幸せだと思うか考えて、そこに向かって進めたらいいね。くらいは話したかもしれない。
では、幸せとは何か?野球選手になりたかった子が夢を叶えたらそれは幸せだろうけど、叶えた途端に最高の幸せの瞬間は終わるのかな?野球選手を辞めることになったら?
私自身の幸せとは何か?を考えている。
今は、わくわくする方向に向かっている最中が幸せのひとつなのではないか?と思ってる。
わくわくは、瞬間の時もあるし継続して進むこともある。短期のこともあるし続くこともある。大きいわくわくもあれば、ほんのり感じるわくわくもある。
さて、4人の子たちは幸せに向かえているのか?わくわくする方向に向かってる?
うん。多分大丈夫。

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